第2回・訪中特集:寧波~上虞へ(2017/3/27~31)
祝英台、故郷上虞に里帰り、
蝶と化した“梁祝”ひらひらと舞い踊る。
2017年3月28日、上虞日報、訳:渡辺明次  

上虞に到着した「戯曲梁祝訪問団」の一行と
英台文化研究会の陳秋強会長(左端)
紹興旗袍(チャイナドレス)協会との参観交流
 
戯曲「梁祝」の題字(揮毫:塚越誠)
インタビューを受ける古野氏と渡辺氏
3月28日、“国外の‘梁祝’研究の第一人者”といわれている日本の梁祝文化研究所の学者渡辺明次氏が「戯曲梁祝訪問団」の一行を伴い上虞を訪れた。

 2009年10月、日本の鎌倉で上演された「戯曲梁祝」、その作者古野浩昭先生、祝英台を演じた青井聡子女史、梁山伯を演じた伊藤健康君の「戯曲梁祝訪問団」の一行は上虞に到着し、表敬訪問と文化交流を行った。
 そして「浙江省無形文化遺産梁祝公式伝承人、上虞の英台文化研究会会長」の陳秋強先生、紹興旗袍(チャイナドレス)協会会長の魏維君(ぎいくん)女史等の接待案内を受け祝府(祝英台の屋敷)での参観交流が行われた。
 祝府の舞台では中日の交流団がそれぞれ双方の『梁祝』の一段を演じた。日本側は「草橋結拝(梁祝の二人が義兄弟の契りを結ぶ場面)」を演じ、また梁祝文化発祥地としての上虞側は紹興旗袍(チャイナドレス)協会の陸娟(りくえん)女史と潘雲(はんうん)女史がこの日のために準備した越劇の梁祝の一段「十八相送(梁山伯が祝英台の帰郷を見送る場面)」を演じた。日本の訪問団に最も本場の香り漂う梁祝故事を披露して見せたのである。
 荘重で古色漂う舞台上に日本の話劇「戯曲梁祝」が出現した時、明らかに時間を超越した感覚があり、愛情というものは言語、文化の違いを飛び越えるものだと。

日本『戯曲梁祝訪問団』、上虞の人文歴史に理解を示す

 日本の『梁祝』戯曲の作者、古野浩昭先生は、梁祝伝説は東アジアに広く伝播し、宋代には既に朝鮮の高麗に伝わり、近現代に日本にまで伝わったと語った。
 陳会長の紹介によれば、渡辺明次氏はこれまでずっと上虞の豊富な歴史と文化の蓄積と遙かなるその源流と上虞の梁祝文化に感じることが多く、何回も上虞に考察のために訪れ陳会長と交流を行っていた。同時に二人は密接な書簡の往来を保持して、研究に関する相互の交流と学習を推し進め、日常の生活上でも既に多年にわたるよき友人となっている。
 陳会長は“梁祝故事は中国伝統の民間文化の代表作の一つであり、民間文学は人民の口承の集団的創作であると言える。それは一種の立体感のある文学であり、文学の形態を取り、口承性、集団的なもの、伝承性、変異性とパフォーマンスする等の特徴を備えている。
 人類社会の発展はまさに各種の文化の不断の交流、融合、古いものを捨てて新しいものをつくり出す過程である。文化の本質的特徴の一つは相互の伝播と転用であり、英台文化の必要性とその他の文化との対話と交流を通じて外界から不断に栄養を獲得し、新しい活力を得て、はじめてまたすくすくと成長することが出来るのである。多年にわたり蓄積された上虞文化は幾層にも及ぶ文化の相互交流、融合を通して、上虞というこの都市が更に生命力を有してこそ、永遠の充実した活力を持つことが出来るのである。”と述べた。
上虞側は越劇の梁祝の一段を演じた
「草橋結拝」を演じた日本側梁祝
 
【動画】中国・上虞の賓江小学校の生徒たちが「笛による梁祝メロディー」で歓迎
 
自身の著書と訳書を手に語る渡辺明次氏



次ページへ進む⇒   1   2   3   4


Copyright (C) 2007 Liang-Zhu All rights reserved

↑to TOP