第3回・訪中特集:江蘇省無錫市宜興で開かれた 「第四回梁祝演劇祭」へ(2018/4/20~24)
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「宜興日報」の記事(2018.4.27付)日本語訳が完成
梁祝故里、演劇一色の場となり賑わう
訳文:渡辺明次 

宜興日報4月27日
第4回中国宜興梁祝演劇祭は規模、内容共に新たな次元に到達。また国外から初の招聘団体が上演し、よりいっそう人々を引きつける

梁祝故里、演劇一色の場となり賑わう

 4月20日夜、梁祝の故里は美しく輝き、国内外の賓客が雲集し、広東省の伝統劇である花朝劇 ≪大漠胡楊≫が市内の人民劇院で悠揚と歌声が響き渡り上演され、第4回中国宜興梁祝演劇祭の序幕の扉が開かれた。
五日間の日程の中で、話劇≪梁祝・十八里相送≫、小品≪挂扁≫(壁に掛かる額)、錫劇(注:しゃくげき江蘇省の常州・無錫・上海市などで行われる地方劇の一つ)≪八珍湯・問蒼天≫、黄梅劇(注:安徽省中部一帯に流行した伝統劇)≪木蘭哭墳≫(花木蘭の一段)など国内外から招聘され来演した24種類の劇の一段を演じる小型の出しもの劇と54の素晴らしい伝統的な演劇の一段が代わる代わる上演され、朗々とこころよい声が響き渡った。演劇祭は上演の賑わい一色の場となり盛り上がり、芝居を演じる人たちの才気あふれる舞台のみならず、また宜興の民衆は盛大な祭りの夜の格調ある芝居を楽しんだ。

注: ≪大漠胡楊≫新中国成立当初の人民解放軍の新疆での革命故事。「大漠」は地名。「胡楊」は〈植〉コヨウ.ポプラの一種.砂漠地帯に生える.→ 胡楊樹は“大漠の英雄樹”とも称され,“生れて千年死なず, 死して千年倒れず,倒れて千年朽ちず”と言われる。
注:「花木蘭フアームーラン」木蘭は、中国における伝承文芸・歌謡文芸で語られた物語上の女性主人公。京劇の「花木蘭」。


★演劇祭の評判がますます全国に鳴り響く
 “あなたはこの扁額を私が選ぶかそれとも選ばないと思うかね?”“息子が私の方を見るか見ないかは、ほっといて、彼に人となりを要するように気づかせるのは、一筆ではつくしがたい。”・・・・・・
4月23日、市内の人民劇院の最後の上演の一コマの中で、市文化館の創作で練習を重ねた小品≪挂扁≫が先ず登場し一人の老人と二人の若者の3名の役者が、一つの村が寒波の中で自然災害を被って、村長が村民を指導して日夜災害への応急対応をする際立った情景、すこぶる生活の息吹を備えた場面を演じた。この今回の演劇祭の24個の劇の中で、この小品は一挙に最優秀劇作品、最優秀シナリオ、最優秀監督と最優秀演者の“四大最高得点”を獲得した。
知らなければならないことは、全国の演劇界の有名な審査委員の前でこのように高い賞賛を獲得することは、背後に大いに日頃の積み重ねがあるのである。これはわずか20分にすぎない小品ではあるが、中央電視台春節聯歓晩会の舞台で自ら演出監督し≪吃餃子≫≪有事您説話≫等の小品を指導上演した李文啓の監督作品である。当日の夜、市文化館の3名の演者の高い資質により完成された小品が上演されたのを見たとき、李文啓は嬉しそうに言う:“宜興の演劇祭はますます盛大に行われ、全国の県レベルの市で、独り宜興だけがこのように全国的なレベルの演劇文化祭を行っており、私がこれに参与でき、また脚本を改編することや練習を積み重ねた小品を手助けすることができとても光栄である。”プログラムの演出効果を更に素晴らしくするために、李文啓は早くも4月13日に市文化館にやって来てリハーサルを手助けし、また常に一つの動作、ひと言の台詞にも注意を払い夜遅くまで暇なく動き回った。
李文啓を除いても、今回の演劇祭にはまた越劇の演劇芸術家、国家一級の役者である竺小招、中国戯劇梅花賞を獲得している倪同芳などの“演劇界の屋台骨”ともいうべき、全国各地の400名にも及ぶ伝統的な演劇の演技者がこの盛大な演劇祭に参加し、諸星雲集、スターが一堂に会しているとも言える。演劇祭の演出規模と専門性の水準もこれまでの演劇祭の中で最も水準の高いものとなり、四年の蓄積を経て、梁祝演劇祭の評判は全国の演劇界でますますその名を知られてきている。
今回の演劇祭は全部で全国15の劇の種類と21劇団の24の優秀演劇と54名の個人参加の出演、併せて8場面の上演があり、現場の観客は万余の延べ人数があり、その規模はこれまでの最高を記録している。今回の演劇祭はまた初めて演劇文学の原稿募集という分野を設立し、4年間の蓄積に基づいて宜興の演劇祭は良好な知名度を確立し、全部で17の省の180名に及ぶ172件のシナリオ応募があり、そのうち5件は入選受賞作品である。“入選受賞作品の使用権は宜興に帰属し、これらのすぐれた入選した優秀なシナリオは、豊富な宜興の伝統的な演劇の舞台に対して良好な文化的促進作用を果たすことができる。”と市文化館の党支部書記の王健平は言う。

★新聞画面の写真解説:
1,4月20夜、広東省紫金県花朝演劇団演出の≪大漠胡楊≫花朝劇(広東省の伝統戯曲の一つ)を演じる団員。
2,4月22日夜、日本梁祝文化研究所の話劇団、宜興で梁祝愛情劇を上演した場面。 □本紙記者:陳嬌/写真撮影:丁煥新


華夏梁祝文化研究会に梁祝本と書を贈呈する渡辺明次日本梁祝文化研究所長(中央)、左隣が今回招聘くださった路暁農先生


★海外組が推し広げる梁祝故事
 “影が形に添うように、いつもいっしょに居て離れず胸迫り、同じ心の兄弟一生涯ともに・・・・・・”4月22日夜、市人民劇院の舞台に初めて日本からの戯曲梁祝を演じる話劇(新劇)団が現れた。6名の日本の役者は普段着の長い衣服を着て、観衆には聞き慣れよく知られている祝英台(チュウインタイ)、梁山伯(リャンシャンボ)、銀心、四九、などの役を演じる。これは日本の梁祝文化研究所によって演じられる新劇の一段≪梁祝・十八相送≫(故郷に戻る祝英台を梁山伯が途中まで見送る場面)で、全体の中、唯一外国語(日本語)で上演される演目であったが、役者達のレベルの高い演技力としっかりした言語の力と豊富な顔面の表情によって満場の喝采を勝ち取った。
この戯曲梁祝の中で老師の役を演じ、同時にこの劇の脚本作者でもある元共同通信社記者の古野浩昭氏は語る。“私が宜興に来ることができ私自身の「戯曲梁祝」の脚本をこの宜興で上演できることは大変うれしいことです。”日本語版の「戯曲梁祝」は2009年に初めて鎌倉で公演された。これは古野氏が「日本梁祝文化研究所」所長の渡辺明次氏が日本で翻訳出版した「梁祝三部作」の中の趙清閣の小説「梁山伯と祝英台」を改変し戯曲化し書き上げたものである。宜興で上演された古野氏の≪梁祝・十八相送≫の一段は、梁祝故事の精華のくだりがよく整理され表現されている。古野氏は今回の宜興公演ではそれぞれの役者がみなその精華をくみ取り演じていて、舞台の向こうの観客の拍手の音でそれを充分に感じ取ることができたと言う。
今年で77歳の渡辺明次氏は今回また宜興に来たが、渡辺氏はかって2005年梁祝故事の実地踏査で研究するため二回宜興を訪問しており、日本に梁祝文化を正しく紹介し推薦している梁祝故事研究の国外の第一人者である。“2002年、私が中国語を学んでいる時、初めて梁山伯と祝英台の故事に触れ、その悲しさと身にしみるほどの真心こもる美しさに感動するところがあり、それ以来ずっと、日本にこの梁祝故事を正しく紹介し推薦しようと、また日本の人たちにも梁祝文化と精神に関心を持ってもらうようにと活動しています”と彼は語った。渡辺氏は、“今回この梁祝伝説の故里に来ることができ、同行した演者に梁祝故事に対する理解を深めるという舞台上に案内することができたこと、そして中国の多くの劇団と交流し互いに切磋琢磨でき、彼らはとても意義があると感じたことでしょう。来年、再び宜興に来ることができたら、このような盛大な演劇祭に是非又参加したいものです”と語った。
これは、この宜興の演劇祭が始められて4年の中で、初めて外国の劇団が参加し上演交流したという出来事である。日本からの劇団以外にも、今回、シンガポールで既に30年の歴史を持つ薌劇(注:きょうげき芗剧[Xiangjù] 台湾や福建省南部の薌江一帯で行なわれている伝統劇)団の上演も引きつけられるものがあった。シンガポールの有名な薌劇(注:きょうげき芗剧[Xiangjù] )の演劇芸術家の沈秀珍氏を含む一行11人は、彼ら本土の創作作品の薌劇≪蝶飛・夢暁≫の素晴らしい抜粋の一段≪悔思・同游≫を上演し、馬文才の追憶を以て劇の筋を展開する。これは一つの伝統を突き破る≪梁祝≫の斬新な新しい試みで、耽美と詩化に深入りした演出であるが、現場の観衆に新鮮さを感じさせる演出であった。

★傑作一堂に会し中国地方劇全国大会、宜興で“復活”人気を博す
 “風はびゅうびゅう音をたて雪飄々と舞い顔中涙にぬれ、髪ぼうぼうと衣服は乱れ薄着の身体に寒さがしみる。”4月21日午後、善巻洞風致地区の梁祝劇場の伝統的演劇の全国の粋を集めた舞台、我が宜興市の優秀な青年役者孫黎健、彼女の十八番の演目、錫劇(しゃくげき江蘇省の常州・無錫・上海市などで行われる地方劇の一つ)≪八珍湯・問蒼天≫を舞い、居合わせた観客の心を虜にした。優美な節回し、人を引きつける展開、ごく短い15分の上演中5回も観客の拍手が巻き起こった。
芝居の専門の演技者から言わせれば、中国の伝統的な演劇の全国の粋を集めたものは一つの吸引力の極めて大きい舞台である。この舞台上で、国内第一線の専門の審査員の判定を勝ち得た“中国演劇紅梅金花ベスト10”はすべての伝統的な演劇の演技者が夢にまで願うことである。特に今回の梁祝演劇祭を設けた中国伝統演劇の全国の粋を集めた公演は、それの七年の長期にわたる中断の後“復活”、多くの専門の伝統的な演劇の演技者が3ヶ月前に中国地方劇全国大会を行うことを知り、みな矢も盾もたまらなく申し込んで、最終組織委員会は200数名の役者の中の、公演される劇の種類から、以前の成績などの審査基準に従い、細かく審査し54名が戦いに参与するように精選した。
54名の出演役者はすべて全国各地の劇団からの名優で、もし今回“中国演劇紅梅金花ベスト10”の第一位の演技者の称号を得るとするならば、それは天津評劇(華北や東北地方で広く行われる地方劇の一種)の花旦(伝統劇の女形の一つで,活発な若い女性に扮する役)である王婧(おうせい女優)だ。これ以外に中国地方劇全国大会公演の中の伝統演劇は、すべてそれぞれの劇の種類の素晴らしい古典芝居の歌の一段で、あるものは専門の役者が再度にわたって非常によく鍛錬した衰えることのない“十八番の得意の出しもの”であり、またあるものは彼らが長い間考え尽くし磨がいた“心から愛する劇”で、又あるものは彼らがずっと演じてきたが上演の機会のなかった“夢にまで描いた劇”である。役者達はそれぞれが有する素晴らしさを推し広げ、我が宜興市の演劇の愛好者のために4日間に及ぶ熱心な意欲あふれる演劇の宴会を上演した。
“十分に満足!4日間にも及ぶ午後、心ゆくまで全国各地の有名劇の種類の一段の演目の素晴らしい演技はあまりにも価値あるもので市民はそれを堪能!”張渚鎮善巻村村民の李谷平は善巻洞景勝区で全国各地の有名劇が上演されることを知り、友人を伴って4日間連続で演劇祭を見て、夢心地を味わった。彼は言う、村のすぐ近くでこのように多くの全国各地の有名劇の一段の上演を見ることができるなんて、本当に幸せなことだ!


中国宜興梁祝演劇祭
2015年4月から始まって、我が宜興市は中国田漢研究会(注)、中国劇作家協会の支持のもと、毎年いつも一回の中国宜興梁祝演劇祭を催し、現在までに既に4回これを行い、全国的なブランドの演劇祭の活動の一つとなっている。宜興にはもともと“梁祝伝説の故里”の称があり、“梁祝伝説”は宜興の国家級無形文化遺産の代表的項目である。梁祝演劇祭を催すことで、“梁祝(リャンチュウ)”と演劇を結合することを目的とし、豊富な宜興の“お茶の盛りに宜興においで”という旅行シーズンの活動内容、それをさらに一歩進めて宜興の文化遺産の人的資源を掘り起こさねばならない。

:田漢 でん-かん1898-1968中国の劇作家。日本留学中に新劇運動に傾倒し,1921年郭沫若(かく-まつじゃく)らの創造社に参加。帰国して南国芸術学院などを主宰し,多数の戯曲を発表した。1932年中国共産党に入党。解放後,戯劇協会主席になる。「義勇軍行進曲」(国歌)の作詞者。1968年12月10日死去。71歳。湖南省出身。東京高師中退。戯曲に「関漢卿(かんかんけい)」「白蛇伝」など。出身地:長沙市:死没:1968年12月10日 (70歳)、中国湖南省長沙出身の劇作家にして詩人。中華人民共和国の国歌の、義勇軍進行曲の作詞者として知られる。





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