第3回・訪中特集:江蘇省無錫市宜興で開かれた 「第四回梁祝演劇祭」へ(2018/4/20~24)
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「江南晩報」の記事(2018.4.20付)日本語訳
宜興の“愛情蝴蝶”、海外で艶やかにひらひらと舞う
訳文:渡辺明次 

江南晩報4月20日 (晩報記者:何小兵、レポーター範双喜、路暁農)

宜興の“愛情蝴蝶”海外で艶やかにひらひらと舞う

★日本とシンガポールの梁祝愛情劇、宜興で上演される
4月19日、2018梁祝(リャンチュウ)文化旅游祭及び観蝶祭が宜興の善巻洞で開幕され、彩り鮮やかな蝶の群れがひらひらと舞った。宜興旅游産業集団の副総経理、蒋葉強はメディアに向けて紹介する。中国梁祝文化の故里の横額を宜興善巻洞に掲げる、善巻洞の梁祝文化は豊富である。そのため、宜興善巻洞の“愛情蝴蝶”が有名になり、最近は毎年観蝶祭を組織挙行し、その人気はとても高く盛んである。

★梁祝は宜興の文化旅游のメインブランドとなっている
今期の梁祝文化旅游祭と観蝶祭は“文化と旅游の融合、産業により市を富ませる”を以て主題とし、一ヶ月に及ぶ記念慶祝活動の期間、“第四回中国・宜興梁祝演劇祭”が、“善巻洞愛情の聖地で、百琴共に梁祝のメロディーを奏でる”。その内容は演劇上演、善権茶膳会、宜興民俗風情の実演、無形文化遺産展示会を行う。また、“かって、私たちは善巻洞に来たことがある”という趣旨の古い写真の募集と≪私と善巻洞の故事≫という文学の原稿募集、宜興の青少年が書画の演技を披露すること、入賞者に善巻及び善巻洞範囲の優遇体験旅行を与えるなど、その特色鮮明な旅游系列活動、これらの特色ある活動を通じて、宜興市“全域旅游”地区化と5A観光景勝地地区創建の足並みを加速推進する。“新しい善巻に春来たり、蝶舞い愛昇華”と“琴碁書画など愛情の地、人の思いも及ばぬ春風十里”と醸し出された雰囲気のもと、文化と旅游が融合させ、対外的提携も行い、国の先頭を走る観光景勝地の新しい発展、新しい体験と将来性を明らかに示す。 「中国梁祝文化研究会」研究員、「宜興華夏梁祝文化研究会」副秘書長の路暁農先生の紹介によれば、旧暦の3月28日は宜興伝統の観蝶祭であり、この日は民間に口承で伝わる梁祝故事によれば祝英台(チュウインタイ)が蝶となった日なのである。祝英台が誕生した祝陵村は善巻景勝区付近の螺岩山(ラガンサン)の麓に位置している。村外には孟宗竹が空高く茂り、村にはホトトギスがあちこち飛び交い、至る所彩り鮮やかな蝶がひらひらと舞い飛び、伝説は“梁山伯祝英台”の故事はこの地で発生したのだと伝えている。観蝶祭は民間のこの梁祝伝説を記念する重要なイベントであり、これまでずっとこの地の民衆と多くの観光客に深く受け入れられ愛されているものである。そしてこの観蝶祭は既に文化的価値を求める旅行者の間で意義深い祭典として位置が定まっている。


公演後、シンガポールの役者さんと交流


★日本とシンガポールの友人梁祝愛情劇を宜興に持ってくる
 これまでの観蝶祭と異なることは、日本、シンガポールの国外の友人が劇団を引き連れ今回の梁祝文化旅游祭と観蝶祭に参加してくれたことである。それは日本梁祝文化研究所話劇団とシンガポール沈秀珍薌劇団(注:きょうげき芗剧[Xiangjù] 台湾および福建省南部 芗江(薌江きようこう:福建省の地名)一帯で広く行われる地方劇)のいずれもが観蝶祭、演劇祭のために、彼らの梁祝愛情劇を宜興に持ってきてくれた。76才の日本梁祝文化研究所所長渡辺明次氏は退職後自費で中国をあまねく歩き回り、14カ所の梁祝遺跡について実踏考察を行った。彼は浙江省寧波に15回、江蘇省宜興に3回などと中国全土に実地踏査を重ね、梁祝故事の書籍を出版した。そして出版社の段躍中氏のすすめもあり梁祝文化研究所を創立し、積極的に日本で中国の梁祝伝説を日本に広めている。このたび宜興観蝶祭、梁祝演劇祭のイベントに宜興側の招待を受け参加し、古野浩昭氏の「戯曲梁祝」を上演するのみならず、華夏梁祝文化研究会と交流を行い、宜興の梁祝文化遺跡を詳しく考察する。古野浩昭氏の話劇「戯曲梁祝(リャンチュウ)」は渡辺明次氏が日本で翻訳出版した趙清閣の小説「梁山伯と祝英台」に基づき古野氏が改編戯曲化したものである。この作品はこれまで日本で何度も上演され、日本に中国の“梁祝(リャンチュウ)伝説”を伝える文化的先鋒となっている。日本の観客はこの戯曲の演出の専門性、斬新な表現方式に引きつけられ、そして梁祝二人の忠節、浪漫な中国の愛情故事に感動している。今回、宜興で公演する戯曲≪梁祝≫“十八里相送”(故郷に帰る祝英台を梁山伯が途中まで送る場面)はその一段である。薌劇(注:きょうげき芗剧[Xiangjù] )はもともと歌仔劇(かしげき歌仔戏[Gezaixì])といい福建省の薌江(芗江きようこう)一帯の劇の種類である。シンガポールの沈秀珍薌劇団は1986年に創立され、その質を高めながら年々強大になり、何回も中国と台湾の文化交流活動に参加しいつも高い評価を受けている。2016年、この劇団は伝統の枠から抜け出して、≪蝶飛・夢暁≫という梁祝劇を創作し、伝統的≪梁祝≫に新しい解釈を付け加え、その年の12月シンガポールのビクトリア劇場で公演し、一大センセーションを巻き起こした。今回宜興で上演する演目は、この≪蝶飛・夢暁≫の中の≪悔思・同游≫の一段で、それは馬文才が琴を奏で悔いながら祝英台を思い慕い始める場面で、かって梁祝の二人が湖辺を散策する情景に遡る内容である。“蝴蝶為花酔、花芯為蝶開。人生蝴蝶夢、相依莫相違”、その筋は人を感動させ、歌詞が浪漫で、音楽は古風で素朴で、舞踊はしなやかで、人に文学、音楽、舞踏などの多種の芸術的楽しみを感じさせる。

★梁祝文化を広めることは梁祝の故里のブランドの開戦
 宜興市旅游園林局局長の王忠東氏は、ここ数年来、宜興旅游の新しい状況が次々と出現しているという。産業規模は絶えず強大になり、産業の要素は絶えず整い、産業の品質は絶えずよくなり、周辺地区においてはすでに明らかに特色ある優位が形成され、宜興においては“強く富み美しく高く”なるスローガンの下での建設過程の中で不可欠な推進作用を発揮していると漏らしている。旅游を含めた大きな市の建設を推進するために、更に一歩を進めて宜興の旅游全体のイメージを高めて、“梁祝文化”を宣伝し、“梁祝の故里”というブランドイメージで戦いを展開し、宜興旅游の独特な個性を明らかに示している。宜興市はすでに連続して16回“中国宜興梁祝文化旅游祭と観蝶祭”を催しており、この一つの影響力ある活動を通じて、中国全土に宜興の名と世界的知名度を持つ梁祝伝説を拡大宣伝し、更に多くの国内外の旅游観光客を宜興に来るようにし、宜興を理解させ、宜興の山河と文化の独特な魅力を充分に具体的に表さねばならない。

書はヒロイン祝英台(青井聡子)が中国語で詠んだ「窈窕の章:淑女を歌う(詩経)」





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