★日本とシンガポールの友人梁祝愛情劇を宜興に持ってくる
これまでの観蝶祭と異なることは、日本、シンガポールの国外の友人が劇団を引き連れ今回の梁祝文化旅游祭と観蝶祭に参加してくれたことである。それは日本梁祝文化研究所話劇団とシンガポール沈秀珍薌劇団(注:きょうげき芗剧[Xiangjù]
台湾および福建省南部 芗江(薌江きようこう:福建省の地名)一帯で広く行われる地方劇)のいずれもが観蝶祭、演劇祭のために、彼らの梁祝愛情劇を宜興に持ってきてくれた。76才の日本梁祝文化研究所所長渡辺明次氏は退職後自費で中国をあまねく歩き回り、14カ所の梁祝遺跡について実踏考察を行った。彼は浙江省寧波に15回、江蘇省宜興に3回などと中国全土に実地踏査を重ね、梁祝故事の書籍を出版した。そして出版社の段躍中氏のすすめもあり梁祝文化研究所を創立し、積極的に日本で中国の梁祝伝説を日本に広めている。このたび宜興観蝶祭、梁祝演劇祭のイベントに宜興側の招待を受け参加し、古野浩昭氏の「戯曲梁祝」を上演するのみならず、華夏梁祝文化研究会と交流を行い、宜興の梁祝文化遺跡を詳しく考察する。古野浩昭氏の話劇「戯曲梁祝(リャンチュウ)」は渡辺明次氏が日本で翻訳出版した趙清閣の小説「梁山伯と祝英台」に基づき古野氏が改編戯曲化したものである。この作品はこれまで日本で何度も上演され、日本に中国の“梁祝(リャンチュウ)伝説”を伝える文化的先鋒となっている。日本の観客はこの戯曲の演出の専門性、斬新な表現方式に引きつけられ、そして梁祝二人の忠節、浪漫な中国の愛情故事に感動している。今回、宜興で公演する戯曲≪梁祝≫“十八里相送”(故郷に帰る祝英台を梁山伯が途中まで送る場面)はその一段である。薌劇(注:きょうげき芗剧[Xiangjù]
)はもともと歌仔劇(かしげき歌仔戏[Gezaixì])といい福建省の薌江(芗江きようこう)一帯の劇の種類である。シンガポールの沈秀珍薌劇団は1986年に創立され、その質を高めながら年々強大になり、何回も中国と台湾の文化交流活動に参加しいつも高い評価を受けている。2016年、この劇団は伝統の枠から抜け出して、≪蝶飛・夢暁≫という梁祝劇を創作し、伝統的≪梁祝≫に新しい解釈を付け加え、その年の12月シンガポールのビクトリア劇場で公演し、一大センセーションを巻き起こした。今回宜興で上演する演目は、この≪蝶飛・夢暁≫の中の≪悔思・同游≫の一段で、それは馬文才が琴を奏で悔いながら祝英台を思い慕い始める場面で、かって梁祝の二人が湖辺を散策する情景に遡る内容である。“蝴蝶為花酔、花芯為蝶開。人生蝴蝶夢、相依莫相違”、その筋は人を感動させ、歌詞が浪漫で、音楽は古風で素朴で、舞踊はしなやかで、人に文学、音楽、舞踏などの多種の芸術的楽しみを感じさせる。
★梁祝文化を広めることは梁祝の故里のブランドの開戦
宜興市旅游園林局局長の王忠東氏は、ここ数年来、宜興旅游の新しい状況が次々と出現しているという。産業規模は絶えず強大になり、産業の要素は絶えず整い、産業の品質は絶えずよくなり、周辺地区においてはすでに明らかに特色ある優位が形成され、宜興においては“強く富み美しく高く”なるスローガンの下での建設過程の中で不可欠な推進作用を発揮していると漏らしている。旅游を含めた大きな市の建設を推進するために、更に一歩を進めて宜興の旅游全体のイメージを高めて、“梁祝文化”を宣伝し、“梁祝の故里”というブランドイメージで戦いを展開し、宜興旅游の独特な個性を明らかに示している。宜興市はすでに連続して16回“中国宜興梁祝文化旅游祭と観蝶祭”を催しており、この一つの影響力ある活動を通じて、中国全土に宜興の名と世界的知名度を持つ梁祝伝説を拡大宣伝し、更に多くの国内外の旅游観光客を宜興に来るようにし、宜興を理解させ、宜興の山河と文化の独特な魅力を充分に具体的に表さねばならない。
書はヒロイン祝英台(青井聡子)が中国語で詠んだ「窈窕の章:淑女を歌う(詩経)」
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