発刊本紹介
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相田翔子さんの
帯のコメントより
中国新聞社による、渡辺明次氏へのインタビュー
 
北京大学出版社 杜 栄主編 漢語中級教程,第一冊 第 14 課
Liang shan bo リャンシャンボ梁山伯と Zhu ying tai チュウインタイ祝英台
 

いにしえ、とても聡明で美しい祝英台と言う女の子がいた。

彼女が 17歳になった頃、とても熱心に学問をしたいと思うようになった。しかし当時は、女の子が家を出て学校に行くことは出来なかった、そこで彼女は直ちに一つの方法を考え出した。彼女は考えた、「そうだ、男装して男になれば?これで万事解決だ」と考えた。祝英台は、男性に変装して、学問をしようと杭州に向け旅立ち、父母の元を離れた。その旅の途中、梁山伯と言う 18 歳の青年に出会った。

この青年もまた杭州に赴き学問しようとしているのだった。彼ら二人は旅の途中さまざまなことを語らいながら意気投合し、すぐに親友関係になった。杭州に着いてから彼らは同じ学校に入学した。二人は三年間同級生活をし、共にいたわり、互いに助け合い、親友として友情関係をますます深めた。けれども梁山伯は同級生活の最後まで祝英台が女の子であることに気づくことはなかった。

ある日、祝英台は父から一通の手紙を受け取った。 手紙には、重要なことがあるので直ちに故郷に帰ってくるようにと告げていた。祝英台は家に帰らざるをえなかった。 梁山伯は、彼女が故郷に帰らなければならないことを聞き、親友との離別を思い、とても耐え難い気持ちになった。

見送りの途中、二人は一つの井戸を見つけた、すぐに祝英台は梁山伯を井戸端に引っ張って行った。二人は井戸の中をのぞき込んだ、水面には二人の青年、若々しくとても魅力的な梁山伯と聡明でとても美しい祝英台の姿があった、祝英台はそこで「みてみて、僕たち二人はまるで仲のよい夫婦のようだね」と。梁山伯はこの言葉を聞いてとても不愉快になり「君はなんで僕を女にしてしまうのかね?」祝英台は返す言葉がなかった、ただひたすら彼が怒らないようになだめた。

このようにして祝英台は何度も自分が女の子であることを梁山伯に密かにわからせようとした、けれども生真面目である梁山伯には少しも彼女の思いは伝わらなかった。

最後の別れに臨んで、祝英台は彼に私の家には一人妹がいて、私と全くそっくりに成長している。もし君にその気があるなら、出来るだけ早く私の家に来て求婚して欲しいと彼に告げた。梁山伯はこれを聞いてとても喜んだ。
やがて祝英台は家にたどり着いて、父が彼女を戻らせたのは高官の息子と結婚させる為であることを知った。祝英台はきっぱりと拒絶し、どうしても梁山伯がやって来て求婚することを待つていると父に話した。彼女の父はとても怒り「梁山伯の家はあんなに貧乏だ、大切なわしの娘をあんなやつに嫁にやるわけにはいかん!」とがなり立てた。

一方、祝英台と別れた後の梁山伯は、とても彼(女)を懐かしく思った。やがて彼も学業を終え、すぐに祝英台の家に行き彼(女)に会い、併せて彼(女)の妹に結婚の申し込みをすることにした。

梁山伯が祝英台の家にやって来てみると、思いもよらないことに彼の前に現れた祝英台はなんと女の子であった。この時、梁山伯は突如、祝英台の『その妹とは』彼(女)自身のことだったのであることを悟った。
梁山伯がまさに驚き喜んでいる中で、祝英台は両目に涙をいっぱいためて梁山伯に、父が彼との結婚に反対していることを告げた。梁山伯はこれを聞いて、とても辛く一言も話すことが出来ず、自分の家に戻り幾日もしないうちに、結婚できないことがあまりにも辛くて病気になり亡くなった。

梁山伯の死の知らせ聞をいて、祝英台は三日三晩泣き明かした。しばらくすると彼女はもう泣かなくなり、父に告げた、「私はその高官の息子と結婚してもいい、けれども、結婚のその当日、花嫁の輿は必ず梁山伯の墓前を通過すること」を要求した。
父は渋々同意せざるをえなかった。嫁入りの当日、花嫁の輿が梁山伯の墓地の前にやって来ると、彼女は輿を下りて墓前にぬかずき、悲嘆に暮れて泣き始めた。

この時、突如天は暗くなり、激しく風が巻き起こり、雨が降り出した。突然、激しい雷鳴がとどろき大地がゆれはじめ梁山伯の墓はぽっかりと裂け、祝英台が直ちに墓の中に吸い込まれるように飛び込むと、墓はすぐにまた元のように戻った。

やがて風も収まり、雨もやみ、太陽が現れ、墓の周囲には鮮やかな花が咲き競った。そして一対の鮮やかな色の大きな蝶々が墓の中から舞い上がり、墓の周りの花の中を舞い上がり舞い降りして飛び交った。


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