戯曲梁祝 戊子盛夏梦羲題記




日本で初の、戯曲「梁祝」舞台公演に向けて


戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌

梁祝文化研究所
戯曲「梁祝」舞台公演実行委員会(鎌倉市日中友好協会、神奈川県日中友好協会会員)
「梁祝」日誌1-はじめての練習、顔合わせの時

  2009年2月7日(土)中国民話劇「梁祝」の稽古が始まった。集まったのは、中心メンバーのキャストと、衣装を手伝ってくれるスタッフ1人の計9人。病気療養中の祝夫人役(中泉みよ)と、周夫人役(上岡路子)、邸夫人役(李文)が所用で欠席した。公演実行委員会の活動としては、1月24日のオーディションによるキャスト発表後の初顔合わせに続く集まりで、型どおり、脚本の読み合わせからスタートさせた。

読み合わせには、脚本に書かれた言葉の徹底理解が大切だ。演出意図でもある俳優の自由な演技を最大限引き出すための必須事項。それには、中国の旧暦による節句の理解から、古典の「詩経」や、「論語」「史記」などから抽出した故事や漢詩、四文字熟語、それらの歴史的背景、気候風土との関連、南方文化の特徴などを概略、把握することが求められる。

  「梁祝」伝説が誕生したのは、揚子江南岸(江南)に臨む建康(現、南京}に都が置かれたころ、4世紀の東晋時代とされる。北方の異民族匈奴が黄河流域の‘中原'の漢民族を南下させ、儒教的な伝統文化を‘南夷'(野蛮な南方人)に浸透させた時代。「梁祝」は、そういう時代背景にあって、四季の花に彩られた開放的な南方の自然と文化の土壌の上に生まれた。物語の精髄ともいえる‘化蝶'の伝説、その悲劇の形は、荘子の‘胡蝶の夢'、あるいは、屈原の‘離騒'に描かれた幻想的な詩文に似て、あくまで‘楚調'。いや、ソフォクレスのギリシア悲劇の「アンチゴネー」にも通じる人類共通の普遍的な主題ともいえるのだ。

  夜7時から9時半まで、途中休憩を挟んで、この日読み終えたのは、三幕(別れ)の直前まで。二幕(出会い)の第二場(杭州の塾)に描かれた「論語」巻第九の‘陽貨'や、「史記」に叙述された中国古代史の理解に手間取ってしまった。杭州の塾の先生、周世章役(鈴木英二)の最初の台詞、「論語」の第一節「学而」の冒頭部分を中国語で読んでもらうことにした。神田の内山書店からCD付きの朗読本を取り揃えなくてはならない。

(続く)

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