翌日。午前中、長距離バスで余姚(ユゥヤオ)市にある長江古代文明(紀元前五千数百年年ごろ)の「河姆渡(フゥムゥトゥ)遺跡」を訪ねた後、列車で紹興へ。2008年1月、紹興文理学院(紹興大学)で1年弱の語学留学を終え、帰国後1年3か月ぶりの再訪。紹興駅に到着後、タクシーで大学正門まで直行。そこで迎えてくれたフランク(中国名フェン・チャン・ファー)の案内で大学のゲストハウスに入る。留学中に日本のインターネット新聞などに送っていた日記が「紹興日記」として昨年の晩秋、日本で出版されたことで、大学当局が出版祝いで紹興滞在中の宿舎として無償で提供してくれた。
その日の夜、大学総長室室長の寿永明博士、人文学部国際文化学系主任の沈剛老師らの招きで歓迎夕食会に出席。型どおりの儀式を済ませ、翌日から「梁祝」芝居に必要な関連資料集めを始める。まずは大学構内を流れる「風則江」川辺の新緑の枝垂れ柳や、街中心部にある「塔山」、「府山」各公園、さらに水郷・紹興‘水錆び'の白壁が映える春の景色をデジカメに収めた。「梁祝」舞台の背景に使う可能性があるためだ。
昼食は留学時にお世話になった「紹興市対外友好協会」の前副会長、章(ジャン)啓標先生と、夜は、大学の中国語文法授業で「梁祝」物語を初めて紹介してくれた李ジェ老師一家と会食、旧交を温めた。章先生が、越劇衣装の問屋を案内してくれることになり、翌日、紹興の旧市街「東街」通り裏の胡同
( フートン ) にある商店へ。老夫婦が居住する木造平屋の納戸風の小店。狭い路地に面した土間の壁には、越劇舞台衣装を無造作に掛け、京劇スタイルの、伸ばせば長さ六○センチほどの黒白の役者髭(ひげ)や、「梁祝」芝居でよく見かける(主人公二人が頭に被る)半円状の冠(帽子)も。その冠、厚紙を折り、カラフルな銀紙で装飾を凝らしているが、どうも重い。ひとつが80元と意外に高いうえ、嵩張って頭の上のすわり悪く、これは敬遠。代わりに白色、タテ長の髭を試着した。動物の犀の尾毛を染色処理、針金で留め、耳に掛ける仕組み。アフリカから輸入した代物らしい。鏡に映ったわが顔、京劇に出てくる好々爺のよう。これを私が演ずる「梁祝」舞台の祝公遠(祝英台の老父)髭にと、50元に値切ってゲット、‘戦利品'にする。
夜。留学時代、クリスマス学芸会で魯迅の小説「孔乙己」を戯曲化して舞台に乗せた中国人学生仲間と再会。‘好久不見(ハオチュープーチェン)'。オーストラリアに住む、わが息子よりも若い同志たちと本場・紹興酒の杯を重ねる。‘恭喜、恭喜、紅紅的(コンシー、コンシ―、ホンホンダ)'。わが青春の残り火をかくも長く味わえる幸運にただ、ただ感謝、感謝だ。
春霞か、この時期特有の黄砂による曇り日か、六日間の短い紹興の春を懐かしみながら、13日朝、列車で最後の訪問地、上海へ。わがスーツケースは、舞台で使用する効果音や各種越劇のCD類,「梁祝」脚本に引用された「論語」「詩経」「楚辞」など中国古典の解説書、さらに魯迅が通った酒屋で手に入れた八年もの本場甕だし紹興酒(合計5リットル)で既にパンパン状態に。 |