4 月 13 日(月)。紹興から約 3 時間、途中、杭州東、嘉興両駅に停車したのみで、乗り込んだ新空調硬座快速ディーゼル列車は昼前、上海南駅に滑り込んだ(運賃
58 元)。地下鉄も二線入り込んだ巨大なドーム状の建物。ここ数年の駅周辺の開発は著しいが、幹線道路から路地裏に一歩足を踏み込めば、歩道に敷き詰めたコンクリートが未だあちこちで、めくれ上がっている。それでも定宿の「OK賓館」に重い荷物を置くと、足早に地下鉄
1 号線で上海のど真ん中、人民広場駅へ。地下の駅構内を 200 メートルほど歩いて福州路へ出た。
南京路から南へ 2 本下った東西を貫く目抜き通りで、租界時代は「四馬路(スマル)」と呼ばれた。この通りに上海で一番大きな「上海書城」(新華書店)があり、ここで「梁祝」以外の越劇、昆劇古典のVCDを見つけ、「梁祝」舞台の装置、衣装、音響の工夫に役立てるのが狙い。(七階建て)デパートのような大きな建物。中国のありとあらゆる書籍、文具、CD、オーディオ類が所狭しと並べられている。手に入れたのは、‘江南'五大戯曲のうちの二つ、越劇「西相(がんだれあり)記」、昆劇「牡丹亭」。「牡丹亭」は歌舞伎役者の玉三郎が今春、北京で京劇の役者とコラボした曲目。京劇伝統の、男が女役を演じる‘旦'を見事に演じ切り、‘日本の梅蘭芳'と騒がれたばかり。額の中心から鼻にかけ、おしろいで太い線を引き、上まぶたから目尻にかけ、ほんのりと紅をほどこす娘顔。「梁祝」舞台の祝英台が男装から娘に戻り、恋する梁山伯を自宅に迎えるシーンの‘メーク'として利用できるかどうか、英台に着せる衣装の色とも合わせなければならず、専門家のアドバイスを仰ぐことになるだろう。
同書店では、他に、「梁祝」以外の中国四大口承伝説の残り分「孟姜女」「牛郎織女」「白蛇伝」三つのVCD、さらに老舎の小説「駱駝祥子」の戯曲版(改編・梅阡)を収めた「駱駝祥子的舞台芸術」(
2008 年 12 月、文化芸術出版社刊)も入手できた。駱駝の脚本は前から探していただけに嬉しい。その晩は、紹興大学留学中に、リーディングの授業でお世話になった徐徐亭(現在、上海師範大学院生)と千島湖酒店で夕食、疲れを癒した。
翌日、日本を出る前からアポを取っていた上海の日刊紙「東方早報(新民周刊社)」記者の黄祺(ファンチ―)と再会。昨年
11 月、東京で「梁祝」公演の取材を受け、書いた記事のコピーをもらい、併せて上海最新情報を入手するためだ。ひと月前、名古屋の明星大学でポストドクターとして土木工学の研究をする夫のもとで七か月間、日本に滞在後、前から務めていた新民周刊社に戻ってきたばかり。北京商工大学新聞学科卒の才媛。午後
1 時に地下鉄 1 号線「陵西南路」駅構内にある書店喫茶室で待ち合わせ、‘レク'を受けた。初めての日本だったが、日本語も少々しゃべれるようになり、中国語と日本語、英語のチャンポンで話がはずむ。
紹介されたのは、上海南駅から地下鉄 1 号線でさらに南へ二つ目の蓮花駅から東へ徒歩 10 分、上海戯劇学院の大学正門手前にある‘云詩戯舞品'商店。舞台衣装の専門店だ。さっそく「梁祝」衣装になるものは、と店内に備えられた衣装アルバムに目を凝らす。ある、ある。さすが演劇学校そばにある専門店。品揃えも豊富だ。現代バレーの衣装・シューズから伝統の越劇舞台衣装、かつら、ひげなどなど。それも演劇学生用に限定しているため、お値段も手ごろ、アルバムの衣装から私が演じる「梁祝」舞台の祝公遠役に使えそうな大衣(襟もとは、きもの重ね、腰から下はスリットした中国服)に注目し、近くの倉庫から取り寄せてもらった。店で試着。清朝(
17 〜 20 世紀)時代、満州族が着た長衫(パオ)とは異なる宋、明代の衣装。手触りも絹に似て心地よさそう。
200 元を 180 元に負けさせ、購入した。
10 日間の「梁祝」の旅がこれで終わる。その夜。ホテル近くの広東料理屋でおいしい海鮮粥とチンタオビールでひとり祝杯。私が舞台でつける役者髭も紹興で見つけたので、ボーボーに生やしていた、わが髭を近くの美容室で、あっさり剃り落とし、ついでに‘芸術家風'と評判が良かった長髪も短くした。鎌倉に帰って芝居仲間と会う。
「前の方がずっと良かった−」。 |