戯曲梁祝 戊子盛夏梦羲題記




日本で初の、戯曲「梁祝」舞台公演に向けて


戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌

梁祝文化研究所
戯曲「梁祝」舞台公演実行委員会(鎌倉市日中友好協会、神奈川県日中友好協会会員)
「梁祝」日誌21

9月6日(日)衣装合わせ。梁祝実行委が先月、各役者別に、おおよその色を決めた生地を手渡し、各家庭で縫製させた‘自前の'衣装。頭も本番さながらに付け毛や、各自が家から持ち出してきた飾りものを付け、‘馬子にも衣装'を地でいく面々。衣装が決まると、公演当日、観客に配布するパンフ掲載写真を撮影するというので、手鏡で念入りに化粧する者、飾りものをあれこれ、取っ替え引っ替えする者、みな、喜々としている。芝居をやる人間の、ひと様には言えない楽しいひとときでもある。夕食を挟んで午後7時から、つま先から頭のてっぺんまで本番さながらの装いで‘通し'をやった。演出のNGは意図的に出さず、梁祝劇全体の流れの中で各役者がどう立ち位置を変え、幕間をどうつなげるか、ひとつひとつの課題をクリアしなければならない。結果は、衣装を着けた初めての通しとはいえ、ぎこちなく間延びし、情感あふれる梁祝劇とは、ほど遠いもの。その日の夜から台本の総点検をする羽目に。以下は、この日の通しから2日後にまとめた演出の最終方針。各役者にメールで‘檄'を飛ばした。

「梁祝」全幕各役者別最終方針( 9 月8日)

以下は各役に対する演出の最終的な指示です。 9 月 12 日(土)夜(鎌倉)の稽古、及び翌 13 日午後(深沢)での場当たりと‘自主練'の後、自らの役作りに持てる力のすべてを注ぎ、‘完成'させ、同日夜の通し ( 深沢 ) で見せてください。これは稽古の天王山。素晴らしい舞台に仕上げるためのラスト・スパート。私の決意を込め、各役者の一層の奮起を促すものです。

第一幕

英台
良家の令嬢の雰囲気は出てきたが、‘加齢した'落ち着きは禁物。育ちの良い‘娘らしさ'を「梁祝」の2ベル前奏曲と同時に、幕が上がる前から意識するように。さらに髪型、飾り付けに工夫を。‘少年、老い易く〜'の漢詩は、必ず歩を止め、学問に対する自らの‘揺るぎない決意'を込めるように。

銀心
元気に飛び回る動きは良くなったが、ドタドタは、ご法度‘かわいい軽やかさ'となるように。花を摘んで転ぶシーン。転ぶ場所は、英台から最も遠い位置にある舞台奥が望ましい。下手前面では、わざとらしさが観客に目につく。

書生
帯と姿勢が未だ‘シャキッ'としない。背筋を伸ばし、胸を張り、前途有望な青年が、旅の途次、ちょっとだけ‘遊びごころ'を出したような演技を。女の子をからかっても‘学を志す'プライドを忘れないように。

祝夫人
P.10 ‘ すべてこの爺さまがいけない〜‘の台詞は銀心の台詞にかぶせるように。つまり、立ち上がって前へ出ると同時にかぶせる。しかも、立て板に水を流すように、淀みなく、きっぱり、と。その次の祝夫人の台詞も、夫の愚痴を遮るように'お前、もう英台の部屋に〜‘と口を開く。続いて、英台を見舞う場。'英台、もういい加減〜‘の台詞は、部屋に近づきながら言い、その言い方も、変に優しくならいように。ごく普通に背筋を伸ばし、テンポ良く、しゃべる。英台が'母上‘に泣きついたときの台詞V可哀相に'は、強い母親のイメージを出すため、今後、カットし、'具合が悪いみたいね〜‘に続ける。続く英台との、やり取りも、強い母親のイメージを失わず、間延びしないよう台詞をかぶせるように。

第二幕

英台
男に変装したはずの英台がどうしても女に見えてしまう。ある程度、仕方がないが、これを克服するためには、まず切り出しの‘杭州へ学問に行くのです'の台詞を男らしく見せなくてはならない。まずは声の調子が高くならないよう、出来るだけ低く、落ち着いた口調で話す。それまでの英台のウキウキした娘らしさをガラッと変え、‘輝いていた'目線も変え、‘私は祝英台といいます〜'と物おじしない態度を強調する。やがて打ちとけ、その堅苦しさは薄まるが、目線だけはキリリと絞める。友情は芽生えても、まだ愛は芽生えていない英台を。

周世章
書生が中国語の論語を大声で訳した後の台詞。‘うん、〜'は、書生が‘〜楽しからずや'と言い終わると同時に、かぶせて言うように。‘緑の葉〜'の台詞も間を空けずにかぶせ、続く英台の台詞の後の‘祝君、君は〜'も同様。‘三国時代の劉備、関羽、、、'の台詞まで台詞のテンポを速めていくように。

山伯
孔子をめぐる歴史問答。今の調子でいいが、急な、土砂降りの雨になり、英台の肩に自分の上着を着せる仕草に、もう少し男らしい優しさを。英台の山伯に対する‘愛の芽生え'が自然に実感できるようにしたい。

周夫人
夫人の出だしの台詞‘あなた、仮に〜'の口調を現在の、やや意味ありげに聞こえる言い草を抑え、ごく普通の夫婦間の会話のようにテンポを早目に。周世章の台詞もそれに応え、軽く受け流せるようにする。

第三幕

英台、山伯
別れの場が悠長すぎるきらいがある為、「銭塘江のほとり」の場、二場一景最後 P.22の冒頭、英台の台詞‘つがいのおしどり〜'から山伯の‘また、冗談を'までの八つの台詞をカット。 P.21 の連句を詠んだ後は、同二景冒頭 P.22 の英台の台詞‘梁君、この , 銭塘江の河を渡って〜'に続ける。このため、後で出てくる P31 の英台の3番目の台詞‘あの時、私たち二人をオシドリに例えたりして〜'は‘あの時、私を野の花に例えたりして〜'と差し替え。 P.21 の連句は、英台、山伯とも、さらに自らの情感を込め、詠まなければならない。

英台
P.23 の「詩経」周南の詩に込めた英台の強い情感(別れの悲しみをよそに、将来、二人は一緒になるんだ、という気持ち)を補うため、その詩の後半部分‘ようちょうたる淑女は、君子のこうきゅう'を二度、繰り返して詠むこと。言うまでもなく淑女は英台自身であり、君子は山伯を指している。二度目の詠みの最後は、消えゆくように美しく。

四幕

祝夫人
P25 の一場二景の祝夫人の二つの台詞。これも前の台詞にかぶせるように。迷いなく、きっぱりと。同じページ、祝公遠に対する提案も、自信を持って言うこと。 P27~.28, 祝夫人の英台とのやりとりも、夫の態度に同意する妻の立場をやや弱め、英台を説得しようとする積極さを出す。結果的に英台の強い決心に押されはするものの、迷う母の立場ではない。

英台
p.26, 屈原の「楚辞」。屈原に同情する英台のこころが伝わってこない。山伯と結婚できなことを予感し、自らの境遇を重ねて語る口調は、恋した女性の寂寞とした苦悩が伝わってこなければならない。

五幕

周世章、周夫人
冒頭部、 P.28~29, 周世章、周夫人の山伯とのやりとり、間延びしがち。周夫人の‘最初から分かっていました'までは間を空けずにかぶせるように。

周世章
P29, 周世章の台詞‘お前はなんでそう自身を持って〜'は、もっとテンポ速く。ごく普通の夫婦の、さりげない会話にするように。が、最後の台詞、‘スートン、フェイトン'は、立ち止まったまま言い、わずかの間をとる。すぐに歩き始め、ひとりつぶやくように‘そんなもんかね〜'と、とぼけた味わいを出したい。

四九
二場二景、 P.30 の四九が英台の姿を見てお茶をこぼすシーン。‘プーハオイ―スー'のタイミングがおかしい。床を拭いた後は、山伯の横に突っ立たず、やや後ろに後退するように。四九の背が高いので、極力、ご主人の山伯に近づくときは、床に膝をつけたり、山伯より舞台後方に位置することを忘れないように。主人を食ってはいけない。

英台
着飾った淑やかな英台が銀心を従え、山伯に姿を見せる場面。お辞儀は山伯から遠過ぎず、近過ぎず、を心掛ける。会釈がまだ硬い。良家の令嬢の妖艶なまでの美しさを出したい。首を傾げ、腰を柔らかくひねるのがコツ(柳腰)。山伯の関心を一気に英台に引き付けたい。

祝夫人
山伯と対面する祝夫人は、機嫌良く、堂々と。

銀心
甲斐がいしさ、気遣いの銀心はいいが、山伯が血を吐いた後は、それなりにお客様を心配することも忘れないように。

山伯
病気で倒れても声が小さくならないように工夫を。ポケットから取り出す赤い扇子の房を取り出した時は観客に、はっきり見せるように高く上げた方がいい。パンツのポケット裏地が出たままにならないように。衣服の帯も時として斜めになっていたり、ゆるんでいたりするので、角帯のような帯の方がシャキッとする。

第六幕

山伯の母
落ちぶれたとはいえ、昔は朝廷に仕える学者の妻。良妻賢母の母。質素な生活の中、健気に息子を立派に成人させた。その息子の幸せを願うのみの母だが、息子が病に倒れ、看病を続ける母のこころは、深い悲しみに包まれている。しかし、そういう母であっても、疲れを露わにせず、どこか気品を残す母親。病床にある山伯に接する態度もそんな母親であってほしい。従って、この場面、母の最初の台詞‘七月の半ばよ〜'もそんな母の気持を出すように。次の台詞‘こんな体で手紙などやめなさい'も今のような‘やめなさ〜い'といった言い回しは、あまりに現代的、軽すぎる。大袈裟なジェスチャーや、無駄な動きはせず、姿勢をただし、言葉少なめで、あくまで控え目、じっと耐えるような古風な侍の妻のような雰囲気が欲しい。体型を、もう少しほっそりしたような印象を与えることができれば、そのイメージに近づく。息子が死に臨む際の母の表情も‘耐える'姿を。息子の死を嘆く仕草、台詞の出し方はサマになっている。

山伯
この場面の山伯の台詞。声が極めて小さい。今、床に伏せっているせいもあるので、ある程度やむを得ないが、前に声が出るように工夫を。

祝夫人
二場一景の最後、英台が父と対立して髪を切る場面。夫、祝公遠が英台と争って部屋を退出した後、英台が突然、髪を切る。その衝撃の度合い、戸惑いの反応に工夫が必要だ。英台が‘尼さんになる'と言った直後の‘驚きの表情'も思い切って出してほしい。

英台
髪を切る動作が悠長では元も子もない。瞬間的な決断、動作が生命線。自室に戻った後の英台も、髪を切る前の英台とは別人になっていなければならない。

銀心
英台のこころの変化、テンションの高揚を誰よりも感じていなければならない。英台のこころに同調していく銀心の気持の変化を意識するように。

四九
若さまが息を引き取った直後の悲しみの表現がやや足りない。ワメく必要はないが、もっと深い悲しみを表現するように。以後、四九は、人が変わったように山伯の魂を引き継いでいく。主人の死を境に自らも大人になり、男らしい四九に変身を。

第七幕

英台
冒頭から英台は明らかにこれまでとは異なる英台に変わっていなければならない。自らの運命を自らが定めていくという静かで、確固とした、しかし透明感のある決意。従って銀心の‘明日は馬家のお迎えが〜'の台詞の後に口に出る言葉‘そんなの勝手に来させればいいのです。私に考えがあるの'の台詞は単純な憤りや、反発であってはならない。自らの死をも予感させる‘透明な決意'であってほしい。続く英台の独白はそのためにあり、‘天上の楽園'に上っていくような清浄な魂を呼び醒ますような訴えであってほしい。以後、続く英台の台詞は、すべてこの心の延長線上にあり、異次元の霊的な世界に没入していく。英台の透明感は、やがて霊気に満ちた‘鬼気迫る愛'(狂気)の形相に―。

祝夫人
髪を切った後、英台に初めて対面するのだから、言葉に出なくとも、まずは英台の髪に目線が行くのは当然。しかし、同情する時間もなく、娘の嫁入りの門出を祝う母親に。が、突然、英台が持ち出した‘三つ条件'に驚愕する。条件はあまりにも想像を超えており、動揺を隠し切れない。その衝撃の大きさの表現が小さい。弱すぎる。しかし、すぐに落ち着きを装うように娘を気遣う母親に戻る。そういう工夫が欲しい。細かく、うろたえるような母親になってはならない。声も小さくなりがちなので、強い母親のイメージを常に忘れないように。

銀心
永年連れ添った‘お嬢さま'が死に臨む姿をみて何を感じるか、ただ泣き叫ぶような銀心にとどまらない、‘崇高な(愛の)精神'を垣間見る銀心を見せてもらいたい。

四九
死に臨む‘英台さま'に接して、‘不思議な神々しさ'を感じるような四九を演じてもらいたい。

13日の通し稽古が待ち遠しい。

(続く)
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