発刊本紹介
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相田翔子さんの
帯のコメントより
中国新聞社による、渡辺明次氏へのインタビュー
 
第二弾、小説「梁山伯と祝英台」 趙青閣著・渡辺明次訳→購入する
この壮大な目標「梁山伯祝英台愛情故事」を正しく日本語で紹介し日本に根付かせようという第二弾、趙清閣の小説「梁山伯と祝英台」の出版に漕ぎ着けた。
 

昨年、卒論の準備開始と併せて中国語学習教材の一つとして紐解いた。「梁祝文化大観」の曲芸小説の巻には二つの小説が収められている、一つは張恨水の「梁山伯と祝英台」、もう一つがこの趙清閣の小説「梁山伯と祝英台」である。張恨水は周りの中国学生に聞いたところ、けっこう有名でみな知っており、今でも TV ドラマの脚本に名前が登場し、もう亡くなっていると言う事であった。
趙清閣という名前はあまり知らないと言う返事であった。その後書店で関連書物を探す途中で英漢対訳でこの著者の二つの小説「白蛇伝」と「梁山伯祝英台」を見つけたりした。張恨水は約 182ページ、趙清閣 84ページあり、両方とも一通り予習を終え量的観点から趙清閣を翻訳することにした。

私の中国語学習の輔導の北京外大の学生張さんが趙清閣の方が内容が簡潔で好いと薦めてくれたこともありこれに決めた。翻訳の理由のもう一つはこの趙清閣の梁祝小説には私の感じでは異常に成語(四字熟語)がつかわれており、 80 ページの中にざっと数えても 230 個もあり、新鮮な興味を覚え文中に成語を探す事に専念し、併せて内容を予習した。日本僑報社の段先生と相談する中で著作権の問題、趙清閣とは如何なる人物でどこに住んでいる人なのかという問題が持ち上がった。

段躍中先生、寧波の梁祝研究会会長、周静書先生、人民中国編集長、王衆一先生に各ルートで探してもらったがこの人物には辿り着けなかった。そう言う状況の中で段先生と中国学生、自ら調べたインターネットなどから一致する情報「 1999 年死亡、女性である、生前は上海在住、上海師範大学の史承鈞と言う人が好友、古い友人である」ということまでがわかった。何時までも人に頼っていても、これ以上は進展しないので、「生前は上海在住、上海師範大学の史承鈞」を唯一の手がかりに七月単身上海に出かけた。運のよいことに、またまた最初の日から親切な人達に巡り会い、上海師範大学の史承鈞先生にお会いすることができ著作権問題は解決した。以上活動の途次で上海師範大学の史承鈞先生には趙清閣の来歴を書いて欲しいと依頼し引き受けていただき、内容も近代中国歴史の経過とも関係する興味深い内容であるので、それを付録として収録した。

又寧波の梁祝研究会会長には第三弾の伝説集の著作権の交渉過程の中で趙清閣小説、日本出版に対して「前言」を書いていただいた。また中国語翻訳に関しては、日本語に精通している北京外国語大学の続三義先生に監修して頂いた。更にこの小説に予備知識を持っていない若い教え子、宮地麻里子さんに、私の翻訳文を読んで貰いオリジナルにイメージしてもらい挿絵をお願いした。はじめて読む人の助けにと本文に添えた。願わくば、この第二弾の小説を読み更に興味を持ち第一弾の「梁山伯祝英台伝説の真実性を追う」に戻り興味をかき立て、既に翻訳を終えて現在、寧波大学の日本語に精通しておられる張正軍先生に監修をお願いしている「梁祝伝説集」へと読み進んで欲しいと切望している。


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