第2回・訪中特集:寧波~上虞へ(2017/3/27~31)
 「梁祝」HOMEへ
日本の「梁山伯」と「祝英台」が
寧波の「梁祝文化園」を訪問。
2017年3月27日 同行記者 龔国栄(きょうこくえい)、訳:渡辺明次 

左から、周静書会長、渡辺明次氏、古野浩昭氏、青井聡子女史、伊藤健康氏、巌友祥社長(梁祝文化園総経理)
日本の話劇「戯曲梁祝」の中で祝英台を演じた青井聡子女史と梁山伯を演じた伊藤健康青年
 
【動画】テレビ局(寧波日報)のインタビュー
地元の高橋鎮望江小学校生
 
日本の“梁山伯(リャンシャンボ)と祝英台(チュウインタイ)”が今日(3月27日)春うららか、鳥さえずり、花香るなか梁祝文化園を訪れた。

 寧波の愛情の聖地である梁祝文化園は、日本から4名の特別な客人を迎えた。日本梁祝文化研究所の渡辺明次所長、日本の鎌倉で公演された話劇「戯曲梁祝(リャンチュウ)」の脚本の作者である古野浩昭先生、その戯曲で祝英台(チュウインタイ)を演じた青井聡子女史、梁山伯(リャンシャンボ)を演じた伊藤健康氏の4名である。

 午前9時、中国の梁祝文化研究会会長周静書先生の同行案内のもと、日本の「戯曲梁祝」訪問団の一行は梁祝伝説発祥起源の地に足を踏み入れ------梁祝文化園というこの神聖な土地で1600余年前の梁祝の芳しい痕跡を探し求めた。ガイドの案内の下、「梁祝学問所」、「梁聖君廟」、「中国梁祝文化博物館」、「梁祝古墓塚」、「祝英台上陸地点」等の多くの梁祝文化の痕跡が現存している地点を訪れ見て回った。梁聖君廟の古色漂う格式ある舞台で、日本の話劇、鎌倉の「戯曲梁祝」の伊藤健康青年と青井聡子女史がそれぞれ梁山伯と祝英台役で梁祝の古典的名場面「草橋結拝」の一段を演じた。

 昨年の4月寧波で行われた「東アジア文化の都」活動の梁祝シンポジウムに参加された時、渡辺氏は“これで私は17回目の寧波梁祝文化園への来訪であるが、その変化があまりにも大きく目を見張るものがある!”と語った。

 今年すでに70余歳の渡辺明次先生は、“‘梁祝’の故事は中国人民の美しい愛情と自由な恋愛や結婚への思い憧れを体現するものであり、それはまた中華民族が大切にし尊ぶ正義と身を修め国を治めるという美しい理想を体現しており、それは又当今の日本にとってもとても現実的に参考になる意義を持っている。私はこの梁祝伝説が包含する精髄を日本人にも知らしめ、彼らがこのような文化と精神に感じるものを持って欲しいと願っている”と語った。

祝英台を演じた青井聡子女史は、日本の鎌倉でケーキの店を経営、演技のレベルは極めて高い。彼女は昨年の「東アジア文化の都」活動に参加の為に寧波に来られ「中日韓梁祝文化シンポジウム」に出席している。

梁山伯を演じた伊藤健康青年は、とある会社に勤めているサラリーマンで、八年前の鎌倉での公演のとき梁山伯を演じた。また彼は国外に出るのが今回が初めてで、その初めての外国が中国で、梁祝故事発祥地の寧波だという。

渡辺明次所長(新しく出来た梁祝駅にて)
祝英台上陸地点
日本の話劇「戯曲梁祝--草橋結拝」上演後、
地元の高橋鎮望江小学校の出演者との
合同記念撮影
人民日報に取り上げられた記事
人民網(日本語版)はこちら(2017.3.29)

古野浩昭氏(写真中央)は、戯曲・梁祝の作者で、ここ梁祝文化園に来るのは二度目だと言う。彼は“8年か9年前に、私はここに来ているが、その時はまだとても素朴で、農村の田園のような雰囲気でありましたが、今はなんともきれいに整備され充実していますね。”と語った。古野氏は紹興文理学院大学に留学した時に梁祝故事に触れとても心動かされた。“本当にこのように凄絶で美しい愛情があるのだろうか?”という疑念を抱きつつ、古野氏は大量の梁祝に関する資料を読みあさった。その後梁祝伝説を研究している渡辺明次先生を知り、梁祝文化を日本に伝える決意をする。そして古野先生は中国の女流作家趙清閣の同名小説に基づいて、それを日本の話劇「梁祝」に改編、戯曲化した。そして2009年10月3日、日本の古都鎌倉で初めての公演を行い、500名を超える観客が上演を見に来て、多くの人が感動し涙を流したという。またこの公演にあたり中国の「駐日本国大使館」の支持後援を得た。その時の出演者はプロの出演者もいれば、半プロの出演者もおり、また公開のオーディションで応募した者もいた。今回寧波に来ている青井聡子女史と伊藤健康青年はオーディションを受け応募したのだという。

渡辺明次氏(写真中央)は、日本の高校の先生で、定年退職後北京外国語大学に留学した。留学中の学習の中で、梁祝故事に深く引きつけられ、梁祝故事の虜となった後、この美しい伝説の起源の地を実地に訪ね真相を突き止めようという思いが芽生えた。そこで渡辺氏は学校の休みを利用して、浙江省、江蘇省一帯を遍く実地踏査しただけでなく、さらに甘粛省清水、安徽省舒城、四川の合川、江蘇省江都、河南省汝南、河北省河間、山東省嶧山、曲阜、馬坡等の中国十数カ所にある梁祝伝説の伝承や、遺跡のある場所を遍く訪ね歩いた。そして中国語で調査報告を書き、それを以て卒業論文とした。これで渡辺明次氏は梁祝伝説の伝承、遺跡のある地を最も多く考察した外国の学者の第一人者といわれるようになった。また特に言及しなければならないことは、渡辺明次氏は早くから“寧波が梁祝伝説発祥起源の地”であることを提起した国外の学者である。



次ページへ進む⇒   1   2   3   4


Copyright (C) 2007 Liang-Zhu All rights reserved
↑to TOP